長福禅寺 丸子町中丸子:内山文友 住職 |
〔連載第81回〕 開基、木曽義仲宣公のお位牌があります。治承四年庚子年十二月頃、弧の騎馬軍を集め、石垣一m二十cm程の高さの塁ある平城「義仲古城」を築き、体勢を整えて戦いに向かったと言われております。山城ではありません。 山の信仰として、南に清水観音の霊場があり、東に祐筆覚明の碑のある石山の砦があります。 真田家は武田に従い川中島の戦いを経験しました。この頃になって山城が重要になります。曹洞宗の多い上田市大林寺(松城に移封)に松山存宿禅師がまいられました。当山は法縁により、丸子氏跡の寺屋敷に、山梨県恵運院より待随した桂厳院嫩禅師さまを開山となされました。更に、禅師は禰津村定津院の監院に請され、子弟の養成に努められ、後に大林寺三世として薫住しました。文禄二年葵巳年(1593)に示寂されました。 ゆえあって、真田宮内左衛門之尉の再興阿弥陀如来尊像が奉安されております。 |
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