全芳院

丸子町腰越:竹内悟由 住職
〔連載第80回〕

 丸子町腰越の全芳院の開創は開山の年室宗長禅師が享禄三年(1530)ころ、現在地より南の約一q付近にあったと伝えられる臨済寺に修行した時に始まる。
 この禅寺は天文二十二年(1553)に丸子城の山麓、通称「おしろ屋敷」の地に移り、臨済宗を改め曹洞宗となり嶺南山全芳院を名付け寺を新たに開いて開祖となった。
 この全芳院は丸子城の根小屋または城館と考えられている。場所も腰越町地籍より一段高いところにあり池は堀だとも言われている。

<山門の額>
 額の右に「黄檗八代」左に「支那悦峰」とあり、中国福建省「黄檗山・万福寺」が黄檗宗の本山と言われているところからすれば、この万福寺八代目の住職「悦峰禅師」が全芳院のために書かれたものと思われる。
 二百八十余年を経たとは思えない雄渾、壮大な気迫が感ぜられる。
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