〔連載第67回〕
和田村の中心部、和田宿本陣近くにある「信定寺」は天文十八年、武田信玄が川中島の戦いの時に信濃を攻め、和田城主・大井信定が討ち死にしたのを弔うための寺。寺の建立は天文二十三年。
活文禅師ゆかりの寺
江戸時代、十四代活文禅師は信定寺に十年間住職を務めた。この後江戸、長崎に遊学、晩年は佐久間象山らが師と仰いだ。上田市上青木の龍洞院住職のあと毘沙門堂に隠居した。
木造釈迦如来坐像
本堂の本尊として安置されている「釈迦如来」は鎌倉時代末ころの作で光背台座は江戸時代といわれる。また、小さい梵鐘、三宝荒神立像など貴重なものがある。そして活文禅師が使った「一弦琴」は天保十一年のもので現存している。 |