宗安寺

上田市岡:南澤 崇善 住職
〔2006年5月25日掲載〕

 上田市岡の宗安寺の歴史は古く、寛仁年間(1017〜21)に恵心作の阿弥陀如来を祀ったことに発祥。当時は「帰命山正善寺」と称した。
 天文16年(1550)上田原合戦の際、兵火のため伽藍は消失した。現在の伽藍は江戸時代、上田城主・真田公の家臣、日置五右衛門が拝領し、当時、寺跡しか残っていないことを憂い上田城主に伽藍の再建を願った。このとき寺号を宗安寺とした。しかし元禄10年に建物は大破し現在の建物は宝暦3年(1754)に再建されたものである。
 また、同寺は上田城主と関係が深く、4代松平忠愛(ただざね)の娘りき姫と弟の熊之丞の墓があり、りき姫が愛用した漆塗りの膳部が伝わっている。

珍しい「駒返し」
 寺の入り口にある「涅槃門」と呼ばれる黒門をくぐると築地塀がカギの手に二つ建っている。これは「駒返し」といい、馬上の人はここで馬を下りなければならなかった。

住職のことば

法然上人の心を世界へ
「愚者(ぐしゃ)の自覚を 家庭にみ仏の光を
社会に慈しみを 世界に共生(ともいき)を」
人々にといていきたい
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