定津院

東御市祢津:五十嵐 隆暁 住職
〔2006年1月31日掲載〕

 東御市祢津の「定津院」の開創は、祢津の城主・上総輔信貞が拈笑宗英禅師に帰依し、宝徳元年(1449)根津城外に精舎を建立し、師を請して開山祖となったことにはじまる。同禅師は応永16年(1409)武州の大守、藤氏頼久の二男として生まれ、幼くして仏を慕い、15才のときに出家して勉学に励み、30才に伊豆最勝院開山吾宝宗サン禅師の門をたたいた。七年後、禅師の法を嗣いで最勝院二世となり、39才の時、甲州武田氏の招きに応じ、小佐手に東林院を開き、41才のとき定津院開祖となった。
 禅師は住すること30余年、その間には59才で総持寺輪住、63才で最乗寺輪住、74才で永沢寺輪住もされ文明14年(1482)示寂された。以来法灯は連綿として三十七世に至っている。

岩井堂御姫尊
 寺の北の山腹にある巨石に釈迦尊、多宝尊の二尊体を刻んでいる。祢津初代領主・松平釆女昌忠節の奥方、了照院が夢の中に現れた御仏を巨石に彫り、お堂を建立した。「吾れ死後一心こめて祈りなば腰より下の病をなさん」という辞世を詠んだ。

住職のことば

「吾常干此切 随流去」
今という時を真剣に自分のおかれている立場に従って生きていく。
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